前回先にショーを書いたのでようやくお芝居編。ネタバレ前提でちょっと辛口です。
■ライラックの夢路
初日から3公演見ての感想なので、多分次は違う感想を持つと思うので、現時点での感想を書いておきます。
理由は、前の記事でも書いた通り、慣れると脳内補完と妄想が始まるからです(笑)
〈お話として〉
ある意味宝塚らしい、皆で団結・困難に立ち向かう・運命の出会いからのラブロマンス、で盛りだくさんではあります。
ポスターの夢夢しい世界を期待して行ったのですが……見終わって、あれ?と。
皆さんの演技も衣装もセットも素敵で、あーさはまた歌がお上手になっていて拗らせてる系男子の演技最高だったし眉間のシワも最高だったんですけどね!
縣くんの末っ子ぽい若い感じのお役も久々に見れて楽しかったし(クリスチャンは若いけど王様だしね)かりあんのイケおじぷりも良かったし、そらくんとさなちゃんのクリスマスのシーンが最高だったりしたんですけども。
終わって残った感想が「……で?」って感じになってしまって、どういう感想を呟けばいいのか分からなくなりました……。
印象に残る台詞が余りなく、キャラ設定が中途半端だからなのか感情移入が出来なかったのが私には合わなかったんだな、と思う。
舞台見終わると何かしら印象に残る台詞があるんだけど、心に響くものが……見当たらず……
あーさフランツの「愛しているんだ」は別の意味で心臓ぶち抜かれてますけど、そういうのじゃなくて。作品を象徴する台詞がひとつあるだけでも違うんだけどな。
話としては五兄弟が皆のためになることをしようと鉄道事業に乗り出すが、資金面も技術面も簡単には行かず行き詰まってしまう。しかし様々な人達の縁で支援を得、事業を推し進めていく……をもっとメインにしても良かったと思うんですよね。
私はそれがメインだと思っていたんだけど、そこに女性というだけで職がなかったり魔女として迫害されることや、魔女と呼ばれた人たちの残留思念みたいなのが出てきたり、母親違いの弟がでてきたり、サブストが濃すぎるのよね。もっと絞って!?ってなる(笑)
そういう描きたかったところを詰め込みすぎなのとまとまってなくて話がぶつ切りのように見えます。ほんと先生書きたいところ沢山あったんだろうな……
舞台セットは良かったので(後述)すが、そのぶつ切り感が気になったのは暗転というかシーンごとの繋ぎのハマってなさもあるんですかね……なんか流れが悪い……。
ほかの舞台でも暗転はあるし暗転するなという訳ではなく、暗転の方法はいくらでもあって、たとえば上手の通路で演技を終わらせて同時に本舞台で演技を始める、とか。
一方その頃、みたいな場面転換は必要なので使い方だと思うんだよな、もったいない。
あと、ここで終わりかな?と思うシーンが後半いくつかあって、あれ?と思ったので(笑)起承転結がないというか、ドラマ性が薄いんだなーと思いました。(あとまぁ多分話の区切り方があまりお上手じゃない)
暗転が長めで「暗転です!」という感じなので、それもまた作品に集中しづらい環境を作ってるのかなと。
細切れの日記とか記録を見ているような感じと思えば、こういうものかなとは思いますが……でも心動かされる芝居を見たくて行ってるのよ私は……
拍手が定まらないのも(だいたい2回目くらいには何となくわかったりするものだけど)「どこが盛り上がりなのか」が少し分かりにくいからなのかなという感じがしました。ここは余韻で拍手したい、ところで次の台詞に行ってしまったり、ここは次のシーンだなと言うところでタメがあったりで拍手のタイミングを逃しまくった2日間でした……難しい……
もちろんここまで書いたことは私の主観で、この流れが好きな人もいると思うし、分かりやすくていいと思う人もいると思う。
私は別にお話に複雑を求める訳じゃないけれど、伝えたいことやテーマがしっかり描かれていて役の誰かしらに感情移入出来る作品が好きなので、今回はそういう意味ではハマらなかったなと思っています。
自分だったら冒頭にアーシェとハインドリヒちの母親の話を入れて末息子の存在を仄めかしつつ、魔女の噂や父親とハインドリヒの約束のシーンとかを入れて、噂に騙されるなとか男も女も関係なく出自も関係なく協力してやるんだみたいな信念をもっと出したら、ハインドリヒがただ強引な男みたいな描き方にはならなかったのではないかなー。
エリーゼはどこに惹かれたの?ってのもわからないし、オーディション受けられなかったって歌う割には、後半もう音楽のこと諦めてるし、キャラかわよくわかんない……
いちかくん四男も兄弟である必要性が描かれてなくて、演技も上手い子なのに勿体なかった……
でもジェンヌさんたちの演技は本物でこの一貫した流れを作りにくい話でよく人物像を作り上げられてるな、と思います。
あーさのフランツは仕事をしているシーンが出てこないし、外でどんな振る舞いをしているのかよく分からない所もあって。
それでも兄弟のうちの苦言を呈す役割りを果たしながら、兄の婚約者を愛し兄に反発しながらも助けようとする次男を、上手く演じられていたなぁと思いました。
ジェンヌさんたちの演技はとても素敵なのですが、ちゃんと本の中で主人公二人が好きになるきっかけや感情の動きをもっと芝居だのみでは無く、脚本として見せて欲しかったなぁと思うのでした。
〈楽しみ方(?〉〉
個人的には衣装が好きなので、今回は宝塚っぽい可愛いカッコいい衣装が見れて幸せだし、舞台セットもあの階段を使った演出がとても良かったと思います。
階段はハインドリヒたちの屋敷の階段というだけでなく、エリーゼとの語らいのシーンで使われたり、鉄工場もそれを組み合わせた形だったりして、面白い。
咲さんハインドリヒが思い悩むシーンとか、背景の蔦模様のようなところに炎の映像が流れたり(日本語が下手すぎるけどそんな感じ)するのが綺麗で、こういう感情の表し方というか、見せかたが良いな、と。
あとハインドリヒたちの屋敷の窓が大きく、外が見えたりそこから入ってくる、という空間の使い方も好き。
なので割と衣装とセットを色々見たり、天月くんや眞ノ宮くんたち職人たちの小芝居とか、かりあんうきさん夫婦、かのゆりさんあいみさん夫婦のやりとりとかを見るのが楽しいなと思いました。
あといちかとあーさが仲良だったり、そらくんとかせきょが仲良しだったり、の兄弟の中でも接し方が違うのが面白かったりする。
今回も娘役さんのお役が少ないし、皆で歌うシーンが少ないので、これから増えるであろうそういう生徒さんたちが空間を埋めるところを見るのも楽しみかな。
うだうだ書いたけど鉄道の話をどうしても入れたかったんだなーというのは先生の言葉にある通り、小林一三翁のことがあるからなんだけど、鉄道も五人兄弟もやや無理矢理感があるなぁとは思う。無理に異母兄弟の話をアントンにくっつけたり魔女の話を盛り込まなくても面白い話になったのでは?
ここに意外性を持たせたかったのかもしれないけど、繋ぎが微妙なせいで意外性のないまとまりのない話になってしまったのでは無いかな?と思います。
GW中にも一度見に行くのであーさフランツの眉間のしわを楽しみに行こうっと。(そこかい)
この後は見た上で気になった歴史的なところを調べたものなので余談です。知らなくてもいいけど知っていると少し違う視点も生まれるかなと思って自分用に残しておきます。
〈年代の話〉
ドイツ関税同盟は1834年、1835年の冬に最初の鉄道が開通したということは、劇中は1830年前後と推測。
この頃フランスで七月革命があってドイツでも憲法制定の動きがあったけど上手くいかず1848年に革命が起こる。
そのちょっと手前の話なんだなライラック。
日本史専攻なので世界史は詳しくないけど調べるのは好きなので時系列にすると面白いんだろうなということでちょっと記載。
【時系列】
冒頭シーン:1832年3月22日以降だがそんなに後じゃない(新聞を見ているのでゲーテ没後すぐと分かる)
エリーゼとの出会い:1832年4月
アントンとの出会い:1832年夏ごろ?
ヨーゼフの死:1832年12月
資金調達:1833年1月頃?
関税同盟成立:1833年3月
株式会社設立:1833年3月以降 ※同盟以降の描写があるのでこのあたりまでが作中の話
関税同盟施行:1834年1月
初めての鉄道開通:1835年12月 ※初めての鉄道開通を彼らがなしえたという想定
だいたい1年間くらいの話と推測。
ハインドリヒとエリーゼは1年くらいで結婚の話にたどり着いている感じですかね。
〈魔女とファウストの話〉
魔女のワードが出てくるけどドイツも魔女狩りが行われていたのは1700年代まででドイツは1775年までは記録されているから、ハインドリヒたちはその時代を知らず、父母や祖父母の時代の話のはず。
あの時代だと既に魔女という存在は薄れていたはずなのに、何故かあの土地ではそれがまだあるんだな。
魔女が今回の話に必要か?というとあれなんですけど、出すならもう少し必要性を上手く欲しかったところ。
『女性が認められず迫害されていた』ことと『職に就くことが難しい』ことを結びつけたかったんだと思うけど……ちょい勿体ないですね。
1600-1700年代の魔女狩りは本当に処刑などもあり(有名なのはジャンヌ・ダルクですね)残酷なものですが、『その土地の者ではない異国人』など弱者が魔女にさせられ制裁されることで不満を逸らすという意味合いもあった。
都合の悪いものを隠したり、そのせいにして責任を逃れたりする。
その対象にしやすかったのが女性であり異国人であり。
狩りまではいかなくとも、何かしらを悪の象徴のように扱うことで平穏を得ようとしたり、他の悪いことから視線をそらそうとしたことは、ハインドリヒたちの生きた時代にもあったんだろうな。
その辺を踏まえると『夢人』の歌の歌詞になるほど、となる。「魔女にされてしまった」的な歌詞があるので。
冒頭の魔女の出てくるシーンはハインドリヒの夢だけどそのきっかけは「ゲーテが亡くなった」ということなので、1832年の3月ということになる。
ゲーテは雪組にはおなじみの詩人であり劇作家ですが(春雷とfff)有名なのは「若きウェルテルの悩み」や「ファウスト」なのでOPのあーさがメフィストなのはこのファウストから来てるんですね。
ただ1832年には一部までしかまでしか発表されていないので、一部の内容をなぞらえるのか、と思いきや冒頭しかその話は出てこないのでこれは単にハインドリヒが『ファウストのように常に向上するもの』であることを示唆するような意味合いで使っているのかな。
ドイツの作家の1人であるグリム兄弟もグリム童話の中で魔女の話を書いているけど、その中の魔女も魔法が使える訳では無い言いがかりも入っているので、ある意味魔女狩りみたいな感じだよね。
信ぴょう性もないけど、悪者=魔女という決め付けで迫害されるというのは「女と言うだけで採用されない」ということにも絡んでくるのかな。
製鉄や鉄道を作るというのもある意味魔術のようなもので、それって錬金術じゃない?愛の錬金術!ストルーエンセ先生!!!ってすぐなってしまう。(早く円盤が見たい)
〈キリスト教〉
そういえばフランツはお祈りしているのでカトリックなんですね、あの家。
そういう描写はあまり出てこないものの、クリスマスの劇が出てきてるのは、あれは教会でのクリスマス会のような感じなのかしら。
フランツは十字を切っているのでカトリックと判断したけど正教会だったかは分からない……でも頭→胸→左→右だった気がするんだけどそうじゃなかったら正教会だと思います。