Can't Help Falling In Love

舞台の感想とかネタバレ含め色々

「燃ゆる暗闇にて」を観劇した話

盲学校の話であることと、碧斗くんカルロスがリーダーで転校生イグナシオが坪倉くん(と佐奈くん)だということだけインプットして観劇。
正直幕が開いてから歌が上手い!凄い!みたいな感想しか見かけてなかったからどうなのかなーと思っていたのですが。
うん、そうか……そうね……
別に否定をしたり貶したりということではなく、舞台としてみたときの感想なのだからそこは自由でもいいような気がするけれどそのあたりは難しい。
当然役者や関係者の士気を下げるというリスクもあるかもしれないが、推しが出ているものをその人が好きだからといって全肯定するのも違うなと思うので、自分の思ったことを書きます。


ネタバレあり。
だらだら書きます。
注:わたしは今回は1回のみのため坪倉くんのイグナシオしか見ていません。

 

公式サイトよりあらすじ:
ドン・パブロ盲学校。ここに通う生徒は全員、光を感じることができない。
だが、「自分たちの持つ障がいを忘れるほど、安全で自由な学校」という教育方針のもと生活する生徒たちは皆とても幸せそうだ。
彼らの中でもリーダー格であるカルロスとホアナは、誰もが羨む優等生カップル。
同じクラスのミゲリン、エリサ、他の生徒たちも、まるで自分の障がいを忘れるように生きていた。

長期休み明けの学期初日、転校生がやってくる。
転校生のイグナシオは「ここは嘘の楽しさに汚染されている、虚しい幻想・悲しいパロディだ。」と嘆き、生徒は困惑する。
自分が盲目であることで、これまで沢山の生きづらさを感じてきた転校生イグナシオ。
彼の悲観的で、みえる世界への憧れを隠さず・渇望する態度は、
「学校こそ自分たちの生きる世界。」と思っていた生徒たちの今までの信念を揺らがせ、“自分には何かが欠けている”という現実を突きつけられる。
「多くを望まず、与えられた世界に満足することこそ救われる」という学校理念を信じるカルロス。
「宿命の悲しみや、やるせなさを分かち合い、いつかの奇跡を信じることこそ救われる」というイグナシオ。
2人の対立で学校は更に混乱を極めていきー
想像を絶する衝撃的な結末が、彼らを待ち受ける。

 


ということで、結構重たいテーマだなと思う。
実際見てみると、カルロスが出てきて色々話している最中は明るい感じなのにイグナシオが出てきてからどんどん空気が重たくなって、何か淀んでいく感じで。
それがもっとピリッとした感じで伝わるとよかったかなーと思うんだけど、何かこう気持ち悪い感じでじわじわ蝕まれていく、みたいな。終わって楽しかった!という気持ちよりも、何か考えたくなるようなそんな感じ。


目が見えない人は箱庭で暮らすべきなのか、もっと自由に暮らすべきなのか。答えが難しいテーマでありストーリーとしては共感するのが難しいし、そこまで話にのりこめるか、というとそこまでではないものの演者によって変わりそうな気もしてちょっと面白いなと思った。
2幕に急にみんな人格が変わったような演出になっているから、もう少し1幕にその片鱗を際立たせても良かったかなーという気がした。
イグナシオがフアナに黙ってろと口をふさぐ所みたいな感じとか。
完璧であるカルロスがどこか不安定な部分をもう少し1幕でも見たかったかも。

 

学校内は「見える人と変わらず歩ける」と言っていたはずのカルロス、最後にペヒータの所に行って席に座ってと言われたとき、机の端を恐る恐る触って席に着くんだよね。
きっと今まではそうじゃなかった。でもイグナシオと出会って椅子の事件があって彼の中にもそういう「恐怖」が生まれたんだろうなって思う。
口で否定していても心の中ではイグナシオの話も理解をしていると思うんだよな、だって彼は休みの間に「外の世界」で過ごしたんだから。
その時に苦しい思いや、つらい思いをしたからこそ、学校に戻ってきて優しい世界に触れて「ここが自分の居場所だ」と感じるし、イグナシオがその世界を壊しに来たから反発したんだよね。と思う。
カルロスは外に出たけど自分の世界じゃなかった。(多分杖がないとどうにもならないことを思い知らされた?)
だからここ(学校)が自分の世界だ!ってなってるけど、それって大人に用意された箱庭でその世界なら可愛くて賢い恋人がいてみんなのリーダーでいられたし、「道を外れなければ」ケガもしないからあの学校が好きなだけなんだよな……。
そういう風に飼いならされたのだとしたら、ちょっとかわいそうだなと思う。
あの学校は見えない人達には楽園かもしれないけど、見える人達が作った箱庭でもあって狭い狭い世界なんだなと感じた。

イグナシオはただ愛されたくて、フアナがそれに手を差し伸べてくれたから変われた。でも彼女はただあの箱庭の中を変えたくなかったからなのかなーって気はする。本当にイグナシオを好きとか友達だと思ってた訳じゃなくて、自分の理想の生活、理想の彼氏、理想の友達がいる世界を壊されたく無かっただけなのかな。
イグナシオは自由に感じる心で生きたくて。辛くても自分のベースは「目が見えないこと」であって、目が見えることへの渇望や理想や憧れを抱きながら、差別に対して嫌悪を抱くタイプ。
カルロスは区別されないことが自由だと思っていてある意味陽キャな感じだけど、持っている闇は2人とも同じで。
彼は外の世界を知ってるのにそれに目隠しをして見ないふりをしてるだけなんだよね。
本当は闇が怖いし1人になることに怯えているのかもしれない。
愛された(=理解された)ことで自分の道を開いたイグナシオはカルロスもまた自分と同じ闇に囚われてることに気がついて心を開こうとするのに、それが伝わらなくて、悲しそうに笑って自分から死を選ぶのって、本来のイグナシオの性格では無い選択だったのでは?
でもあの坪倉くんのイグナシオは、最後悲しそうに笑って笑顔でいなくなるから、そこにあったのはカルロスへの愛なのかもしれないなと思う。魂の双子的な感覚というか、共鳴がもっと見えれば彼がなんで死を選んだのかわかりそうなのに、ちょっとそこの深堀は物足りない。
イグナシオとカルロスどちらかしかあの箱庭の主人公にはなれないから、イグナシオはそれから離れられないカルロスに場所を譲ったんだろうか、とか色々考えてしまうな。
カルロスは決められた道を歩んでいれば大丈夫なはずが少しづつ壊れて、見てないのに目の前でイグナシオが死んだ事実に耐えられなくなって、孤独と後悔でもがいて、闇の中で見えた光(イグナシオの提示した死により闇から解放されるという光)に手を伸ばして自らも死を選ぶ……重たい話だ……

 

自分は目が見えないわけじゃないからそちらの立場になることもできないし、身近にそういう人もいなくて、実体験として少なすぎて何が正しいとかの判断はできない。
どういう世界ならどちらの人たちも安心して良い暮らしができるのか、という話でもあるし、自分の内面を深く探るような、登場人物の内面に迫る話でもあるから、なんだかどっちつかずだなという気がした。
目が見えない人たちの生きづらさというところは、いろんな意見があるだろうしそこがこの舞台で本当に立たせたいところではないとは思うので、これ以上はあまりここについては触れないけど。
もう少しカルロスとイグナシオの内面を表にさらけ出すような印象的な台詞だったり会話だったりがあっても良かったのかなという印象。
個人的にはそこが足りないから、最後になんでカルロスに寄り添おうとしたイグナシオが死んでしまったのか、そしてカルロスがその後を追うように死んでしまったのかが分からないのでは?という気がします。
オタクは勝手に妄想力で補っているけど、伝えたいことは何だったんだ?という感じがして……。
いやもうそこまで深く考えなくていいのよ、って言われることもあるんだけど、どうしても舞台にそれを求めてしまいがちなオタクなもので……
答えは人それぞれ違ってい良いんだけど、舞台中にそういう問いと素材が欲しいというか。
さあ君たちはどう考えるこの結末を、という提示に対して、考察するのに材料が不足しているなと感じます。
最後の屋上でのカルロスとイグナシオのシーンが良かっただけに、何かもう少し欲しかったなと思ってしまう。
あの時の感情のやり取りとても良かったな、と。
カルロスに歩み寄ろうとしても掴めず、最後のイグナシオの諦めたようななんとも言えない微笑みは、カルロスには見えないのだと思うと余計に悲しかった。

 

最後に話の筋やキャラクターのことではなく、一つの舞台としての意見を言うとすると満足度としては低い。申し訳ないけど。
学生たちの最初にユニゾンとか、歌い上げるところとかはもっと歌として聴かせてくれないとつらい。声が通りやすい人と通りにくい人がいて、活舌含めて何を言ってるのかわからない人もいるので、も、もう一息欲しい……となった。
ただ、歌も演技もちょっとな、と思いつつも、その無垢さというか純粋さとかが学校という箱庭にいる生徒たちという役割ともあっているなと思うところもあった。
とはいえ、ミュージカルにするならもう少し歌に説得力が欲しい所。
上演時間がもう1週間長かったらもっと深まってよくなっていただろうなと思うけど、初日に100%出せないなら意味がないとも思うので、稽古期間がもう少し長かったら違ったのかなあという気はする。

 

坪倉くんの歌が数年前と比較してレベルアップしていたし、アフトでこれから歌も頑張りたいって言ってたから頑張ってほしいなって思う。
彼の演技は2幕最後がとてもよかったし、途中で悪役顔になるところも良いな。
彼の素として、基本が優しい印象(おとなしい印象)を持たれがちなので、イグナシオってもっときつい性格なのかと思ってたけど、ただ寂しかった少年という感じになって、韓国版はそのあたりどうだったのかな、という気はした。私は好きだけどね、2幕のラストの屋上のイグナシオの解釈。
碧斗くんは歌がもう一息……とは思うけど、頼れるリーダー感と壊れていくところのギャップ、笑ってるのに泣いてる感じみたいなのは、何かこうリアルで良かったなって思う。なんだろう嘘があまりない感じ?
フアナはそういうキャラクターだから、なんだけどちょっと鼻につくいい子ちゃんぶってる感じ(フアナ自身は自覚がない)が、上手いなーと思った。優等生という感じ。
最近チケット代が上がって複数見れないし、演出面や脚本面も今まで以上に見るようになったけど、作品の題材としてはあり・脚本/演出で伝えたいことが分かりやすかったか?では微妙・キャスト陣は頑張ってはいる、というところですかね今回。超上から目線ですみません。


まあ相変わらずまとまってるわけじゃないんだけど、とりあえず言語化した。
ホント最近観劇1回にかかるコストが上がっていて、気軽に見に行けないし、見に行ったら値段分の価値を探そうとしてしまうから、余計にここは良いんだけどここはいまいち…みたいな見方をしてしまうところがあるなーと。
もったいないといえばもったいないですよね、そういう見方……とは思うんだけど、費用対効果……って考えてしまう……