「Endless SHOCK -Eternal-」
日時:2020年9月15日~10月12日(全31公演)
場所:梅田芸術劇場メインホール
出演:堂本光一 上田竜也 他
Endless SHOCK -Eternal- | イベント | 関西テレビ放送 カンテレ
2007年から毎年必ず1回は観劇をしていたSHOCKを、今年は初めて観劇することができなかった。
元担が居なくなってからも絶対SHOCKは見ていました。出演者が変わっても大好きな演目だったから。
春公演は見たけれど秋公演は見ていない、なんてこともありましたが、年に1回の恒例行事のような観劇が今年出来なかったことは思ったよりもショックでした。
1月で自担が辞めグループも解散し、ジャニオタを止める、と色々断ち切ったけれど、この作品はまた別ものだったので。
ライバル役も変わりまた新しい世界を見せてくれるだろう、わたしの鬱々とした気持ちも晴らしてくれるだろうと思っていただけに、観劇前日に中止が伝えられた時は本当に辛かったです。
勿論、出演者や関係者だって辛いだろうけれど、あの作品を好きな一ファンとして、あの世界に浸れないことが悲しかったんですよね。
おそらくSHOCKをずっと見てきた人たちは何度となくあの時ライバルが出とちりしなかったら、刀を渡す前に気づいていたら……等色んなifを考えていたと思うのですが。
あの最後のステージの後を描くifをまさか公式が出してくれると思わなかった……ので、なんかもうどうなるのか、どういう未来に彼らはいるのかとかドキドキしっぱなしでした。
年々取れなくなっていくSHOCKという舞台、ソーシャルディスタンスということもあり、席が限られているから余計に無理かもしれないと思っていたけれど、光一さんが招待してくれたので(光一さん名義だからね)日帰り観劇となりました。
お話はあれから三年後、コウイチはすでにこの世にはいない。けれどその中で懸命に生きているメンバーを懐かしみあの時はこんなことがあった、という振り返りと共に、タツヤ達残された側も、そしてコウイチも実はあの時こんな感情だった、と感情を吐露していくものでした。
コウイチは過去の人間だから、今の彼らとは話すことはできない。
でもずっとそばにいて、優しい顔で見守っていて、そんなところもまた泣けてきて、防振のレンズはずっと曇っていました(笑)
この過去を振り返る、と現在を語る、が上手く混ざっていて、とても良かったです。
上田くんや奏くんたち新しいメンバーのファンの方は、おそらくSHOCKは初見だと思うので、その方たちからしたらもしかしたら???が多い作品だったかもしれませんが。
それでも3年前に何があったのか、その時にどんなふうに彼らがそれぞれ思っていたのか、は伝わったのではないかと思います。
フライングも舞台上のみですがリボンと傘とあり、コウイチとタツヤの太鼓もあり、NYDだってみんなで踊るし(実際はコウイチとオーナー、コシオカ・テラニシだけど)、そりたりーもあるしジャパネスクだってある。
観たかったけど見れなかったもの、が違う形だけれどそこにはあって、ひとつひとつのシーンが嬉しくてもうずっと泣きっぱなしでした。
胸がいっぱいでご飯が食べられない……ことはありませんでしたが、本当に胸がいっぱいになる幸せな時間でした。
光一さんの好きなところは多々あれどこうしてブログで改めて語ることもあまりなかったのですが。
本当に彼のSHOCKに対する熱というか、姿勢というか、色々と考えてくれていることがとても嬉しいなと思っています。
2007年~ここまで、このSHOCKは同じ名前だけれどどんどん違う話になっています。
勿論大筋は同じだけれど、よりわかりやすく、より丁寧に語るべきことは語り、踊りで魅せる時は魅せることに専念し、と毎年色んな改良が加えられています。
ショーを集めたような構成も好きだけれど、今のような人間模様を描く構成もとてもいいなと思います。
わたしたちがSHOCKを愛しているように、きっと光一さんもその周りの関わっている人たちも、この作品のことを愛しているんだろうなと思います。
コウイチというスターを中心としたお話は、どこか非現実的なようで、けれど置き換えればどこの組織でも起こりうるような、そんなお話だと思っています。
新たな一歩を踏み出す勇気を、誰かに伝えるという勇気を、感じさせてくれるような。そんな感じ。
きっと光一さんは正解はないというだろうから、見た人が見た人なりに何かを受け取っていればいいんだと思います。
何かしらの感情を動かし、力を与えることができる、エンターテインメントのチカラというのは本当に凄いな、と観劇するたびに感じています。
さて、今回初めて上田くんが演技をするところを生で見ました。
コンサートも1回しか行ったことがないし、ドラマを見たこともほとんどないです。
それでも少クラプレミアムとか、歌番組や3人旅とかのTVの向こうの姿は何度か目にしていたし、KinKiの横スタのコンサート剛さん不在のステージに、上田くんは来てくれて。
見た目はとがっているように見えるけれど、とてもいい子だなあと何だか上から目線で恐縮ですが、思ったりしていました。
その印象くらいしかなかったので、果たして彼のライバルはどんな感じなんだろう?ととてもワクワクしていました。
なんだろう、いい意味で裏切られたような、納得したような、前からライバルでいたような、そんな不思議な感覚でした。
とても自然にコウイチと並んで立っていて先輩後輩としても良い関係なんだろうな、というのがカーテンコールでのおしゃべりからも伝わりました。
上田くんのタツヤは、とても「自分」を持っている感じがした。
俺はこうしたい、でもコウイチとは違う、コウイチは好きだけど理解してくれないのは嫌だ、なんでわかってもらえないんだろう、そんな感じ。
強いんだけど弱くて、というのが上手く描かれていたような気がしました。
この今の形態になってからのライバルたちはそれぞれ似て非なるキャラクターで。
コウイチに対する気持ちも、同じようで違っていました。
ヤラにとってはのコウイチ、ウチにとってのコウイチ、ユウマにとってのコウイチ。
全部違ってそれぞれ良かったと思っていて、ただ、何となくタツヤはとても「しっくり」きた。
ライバルはコウイチに「憧れ」ながらも同時に「劣等感」を抱いている。
どうしても「コウイチにはなれない」というさだめを背負っている。
そして不満が爆発して「憧れ」を「憎しみ」や「怒り」が上回ってしまった結果があのジャパネスクだと思う。
ヤラはコウイチを恐れ怖がり”飲み込まれたくない”感じがしていた。
ウチはコウイチが好きで、見てほしかった、”認めてほしかった”気がした。
ユウマはコウイチと”一緒に作り”たくて、同じ目線で語れるようになりたかった。
タツヤは、多分、コウイチと””ずっとライバルでいたかった”んだと思う。千秋楽の楽屋でシェイクスピアをやろうというコウイチにキラキラしたまなざしを向ける中、一人輪を離れて、『また言ってるよ』みたいに呆れながらも、一緒に頑張ろうぜという雰囲気の彼らが突き上げた拳に合わせるようにして、こっそり拳を差し出して、少し笑っていた。タツヤは負けたくないという気持ちを持っていながらも、コウイチのことがライバルとしてとても好きだったんだろうなという気がする。(あくまでもわたしの勝手な解釈ですが)
自分の罪を背負って生きなければと三年後に思っているところや、自分が少しかもしれないけどコウイチに恥じずに舞台に立てるようになってからしか、墓参りに行かないという真面目さが、タツヤはとても好ましかった。
勿論、今回のこのeternalという設定だからこそそういったことが見えてきたのであって、他のライバル役の人たちもこのeternalを演じたら同じように思うのかもしれないけれど。
でもわたしは、このタツヤというライバルがとてもいいな、と思ったのでした。
出来たらちゃんとした本編をこのタツヤで見たいなと思いつつ、先のことは分からないので何とも言えませんが……
またあのカンパニーでのSHOCKは是非見てみたいです。
しかし、本当ずっと泣いてましたね今回は(笑)
マスクの色が変わってしまうくらいには(布マスクだったので)べしょべしょに泣いてました。
生オケだーー!って泣いて、しょっぱな夜の海のラストからっていう所で泣いて、屋上のリカで泣いて、タツヤの告白や泣き崩れる様子に泣いて、傘をさしかけるマツザキがタツヤの涙を見ないようにしているのに泣いて、なんかもうずっと泣いてたので、流れがあんまり把握できていないのですが。
本来幕間含めて3時間ちょっとの話を1時間50分程度に組みなおし、順番を入れ替えて現在と当時のことを織り交ぜることにより、ほぼメインシーン・メイン曲は披露し見せるという技は、すごかった。
そしてオタクが良く妄想していたであろう、SHOCK数年後のifの世界を見ることができたのは、こんな状況下だったからこそであり、コロ〇への感謝はしないけれど、結果凄いものは見れた、という。
もし、コウイチを一番大事に思っていただろうフクダやタツミがあのifにいたら、どうだったんだろうか、とも思う。
もしも、あの階段で刀を渡したのがフクダだったら、どういう未来だったんだろうか、というifをずっと考えていたりしたんだけど。
それと同じように、あの世界線のフクダってコウイチがいなくなったカンパニーからは去りそうだなあなんてことを思ったりしていたので、機会があるならばつ~ゆ~の二人側のifが見られるといいなあ。
通常だと11月には来年の予定が発表されるわけですが、来年はどうなるんでしょうかね……
配信はやはりあまり得意じゃないので、出来たら生の舞台を見たいのですが。
来年はいつも通りの、けれどまた進化したSHOCKを、帝国劇場の舞台で見れることを切に願うばかりです。
永遠はないのは分かっているけれど、いつまでもSHOCKを続けてほしい、とつい願ってしまいます。